僕が中学受験生だった時の話

20年ほど前のこの時期、僕は中学受験勉強中の小学六年生だった。入試が2月の頭だったので、この時期は最後の追い込みをしていた時期だった。現役の小学六年生もまた、追い込みの時期だと思う。彼等・彼女等に届くことは無いと思うが、僕の中学受験の思い出を話したいと思う。というか、今回話すこと以外に記憶が無いのはここだけの話しである。

 

まず初めに、中学受験に至った経緯を紹介したいと思う。
僕は普通の家庭で育ったが、中学受験は親の薦めでは無かった。父は中学受験を経験しておらず、「中学の間は色んな人に触れた方が良い」と否定的だったし、母は中学受験を経験しており、「小学校のうちは遊ばせたい」と同じく否定的だった。
しかし、小学五年生の僕はスポーツ万能で勉強もでき自信の塊だった。更に、小学三年生で始めた野球では地域ではそれなりに知られる存在となり、「俺は足を引っ張られてる」、「俺が9人いたら東京で一番」と公言するという、ややイタイ存在だった。現在も治療中の中二病を、僕はこの時には発症していたのである。
そんな僕は「強い学校に行くため」に中学受験を思いつき、両親はそんな僕に中学受験を許可し、受験することになった

 

ということで紆余曲折を経て、受験日を迎えた僕。2月1日には第三希望の学校の受験をした。割と安全牌だったため、特に記憶は無い。その日の夜には、ネットで合格を確認することができた。これで気を良くした僕は、2月2日に第一希望の学校の受験をした。これも特に記憶は無い、と言いたいが少しだけ記憶がある。その日は四教科受験だった。国語は得意だったので難なくこなし、算数は苦手だったができないなりにこなし、社会を迎えた僕。その時に出た問題は、「東南アジア」と「エビ」と「河川」がキーワードで、「植物の名前」を答える問題だった。その時、僕の頭に浮かんだ画像はこれだった。

 


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参照:http://www.hokusetsu-ikimono.com/okinawa/manglobe/index.htm


しかし、名前が分からなかった。正確には「マング」までは分かっていたが、その先が分からなかった。「マングース」は浮かんだが、それが動物の名前で、間違っていることは分かっていた。僕は、焦りながらもその問題を飛ばし、他の問題をこなしながら思い出すのを待った。しかし思い出せないまま、試験は終了間際を迎え、僕は泣く泣く「マングース」と記入し試験を終えた。その後、理科を迎えたが記憶は全くない。受験会場を出ると、別室で待っていた母親と合流し、電車に乗った。電車に乗ると、近くにいた受験生が友達同士で話している声が聞こえた。
A「あの問題できた?」
B「あれ?マングローブだろ?」

 

僕は顔から血の気が引くのを感じた。すぐに母親に伝えた。
僕「母ちゃん。俺落ちたかも。」
母「何で?」
僕「マングローブが出てこなくて、マングまで分かってて、マングースって書いちゃった。」
母「・・・切り替えていこう。」

ということで母と絶望している僕は、新宿のさぼてんで昼飯を食べた。トンカツを食べていると、何だかどうでも良くなってきたことは覚えている。空腹が満たされれば、人間はどうでも良くなるのである。

 

翌日の2月3日には第二希望の学校を受けた。たまたま一番後ろの席だったので、列全員の答案用紙を回収する役目だった。国語はともかく、算数は自分ほど空欄が多い人はいなかった。試験会場を出て母親と合流すると、2日に受けた学校は合格してるとのことだった。喜ぶ母親を後目に、嬉しいよりも「マングースって書いて受かってりゃ世話ねーな」と心の底から思った。そして3日に受けた学校は当日に合否の判定があり、何故か受かっていた。

 

この事から僕が学んだことは、「手は尽くしておけば何とかなる」ということである。マングローブマングースと書いたところで、落とすのは数点である。他で点を取れば問題は無いのである。更に、そんなボンクラでも一端の社会人として何とかご飯を食えてるし、やはり何とかなるのである。

 

長々と書いてきたが、結局のところ世の受験生に僕が言いたいのは、「失敗は、結局失敗じゃないから心配するな」ということと、「東南アジア・河川・植物と来たら『マングローブ』と書け」ということである。